どうでもいいお皿

取るに足らない日々の事々を乗せて、どうぞ、と差し出すお皿

自分へ還る途中

日記やブログを続けるのは、難しい。

何かしらメモのようなものを、スマホのアプリや会社のwordで書き散らしてはいるけれど、日記や創作としてまとめられていないのが情けない。

 

そういえば昔から、一定期間の日記(ブログではなくノートに)をつけては、急にすぱっとや辞め長いこと放置する、ということを繰り返していた。

その一定期間というのが3日とか1週間というものではなくて、3か月とか半年とかだった。なんとも中途半端なことだ。

そこまで続けても習慣にできないという、自分の怠け者で飽きっぽい体質にうんざりする。

そういえば、ヨガもそうだ。一定期間続けて、長期間休んで、また再開するということを続けている。なぜ完全な習慣にできないのだろう。

 

こんなことを書きながら、実は、8月末からまた日記を書いている。

ウェブの記事で見た、3つの項目を箇条書きにするだけの日記、というのを実践しているのだ。

その項目とは

1.その日の悪かったこと

2.その日の良かったこと

3.明日の目標

であり、その3つを書くだけで、1日の疲れとストレスがリセットできる、というのが記事のタイトルのフックになっていた。

そして、就寝前に書く/簡潔に書く/日付・曜日を記載する/丁寧に書く/一人のときに書く、というのがルールとして示されていた。

 

それが今のところ、なんとか続いていて(ルールで守っているのは、日付・曜日の記載と一人のときに書くという点のみだけど)、なかなか楽しく取り組めている。

疲れとストレスのリセットは実感できてないし、自己実現に繋がっているかはまだわからないが、明日の目標を書くことで自分の尻を軽く叩いている感じはある。

 

今度こそ、死ぬまでの習慣にしてしまいたいと思う。

 

いつも本当に絶え間なく、自分というものについていろいろ考えていて、迷うことも、自己嫌悪感を感じることも、毎日のようにあるけれど、なんとなく今、自分がやりたいことを掴めそうな気がしている。

 

ここ10年程、ただ社会に迎合・同調するだけだったのが、またクリエイティブなことをしたい、と少しずつ思い始めている。

 

クリエイティブなことをして発表しよう、認めてもらおう、仕事にしよう、というのではなく、ただ自分のためだけに創造してみようと思う。

 

何かの物語を考えたり、ただひたすら絵を描いていたりした頃の、あの楽しさや心地良さをまた掴めそう。

今、その頃の自分へ還る道を歩いている途中なのかもしれない。オズの魔法使いの黄色いレンガの道のような。

夏と台所と読書への郷愁

休日の午後3時半。

自分でアイスコーヒーを淹れて、母がくれたカシューナッツの焼き菓子を台所で適当に食べた。

夏の静かな、じめっとした午後、明るくもないけど薄暗くもない台所。テーブルの木の質感。一人で食べるおやつ。

心が静かで、限りなく落ち着いて、実家に一人でいるときの感覚になった。

 

まるで夏休みみたいなこの感じだ。この感覚は急速に広がって、もう全ての細胞が「夏休み」モードに切り替わって、急に本を読みたくなった。

 

私の夏休みといえば、読書だ。

夏休みじゃなくても本を読むのは好きだったけど、夏休みの読書は特別だった。

昔から各出版社も夏はフェアをやるし、きっと日本の夏の読書は、一定の人には特別な意味があるのだと思う。

 

よし、なにか本を買おう、と思い、読みたい本がたくさんあることを思い出す。

今こそ、本を買うときかもしれない。そう思って、さっそくamazonの「欲しいものリスト」を開いた。

 

そのときふと思い出した。BTSのオフィシャルブック『BEYOND THE STORY』を予約していることを。

なかなかのお値段の本だったし、厚みもけっこうある読み応えのありそうな本だ。

届いたらすぐ読みたい。

今、新しい本に手を出すのはやめておいた方がいいかもしれない。

積ん読しとくわけにはいかない本だ。

 

あ、でも、さらっと2〜3日で読める本ならいいかも。

なにやらこの「夏休み」な感覚を味わうのを楽しみたい。

どんな本を読むか選んだり、どこでどんな時間に読むか考えたりする、この感覚。

楽しまないと勿体ない気がする。

 

夏の昼下がりのマジックアワーみたいな時間が、思わぬ楽しみをもたらしてくれた。

 

引き続きアンビバレンス

風邪がしつこい。本当にしつこい。咳は出るし、怠いし眠い。


寝ていたいが、勉強も切羽詰まっている。気合を入れて一気にやってしまおうとするが、集中力がなくてなかなか進まない。 そのうえ、昼食を作ったり洗濯したりなどするから、 さらに進まない。


昼ご飯を食べ、絶対一気にやるぞ、と決意する。が、ものすごい眠気に襲われ、決意は簡単に崩れ落ちた。もう無理だと思い、とうとう横になってしまった。


1時間ぐらい眠っただろうか。目覚めたら、右手の薬指を捻挫していた。なぜ。

あまり眠った気がしない。頭が重くて、眠気が取れない。ひたすら怠い。辛い。


熱もなく、体は普通に動くが、熱っぽい気がする。本当はずっと寝ていたいが、一時間もロスしているしこれ以上は駄目だ。

 

私はぼーっとする頭を無理やり奮い立たせた。

どうにか勉強に取り組み、掃除もした。夕方にはスーパーに買い出しにも行った。


こうして書くと、自分がすごく頑張っている人に思えてきた。
勉強は目標の地点まで進めなかったけど、掃除もしたし、昼ご飯も 夜ご飯も作ったし、シーツも洗濯したのだ。風邪をひいてるというのに。頑張り過ぎなぐらいではないだろうか。


しかし、そう思ってはみても、正直なんだか納得できない自分がいる。
頑張って、全ての項目を目標の地点までこなすことができていたら 、達成感を感じたかもしれない。だが現実は、いろいろ中途半端な感じまでしかできなかったのだ。


勉強はリポートを仕上げることができなかった。シーツは洗ったけど、毛布をクリーニングに出す準備ができなかった(猫の毛を取 らないといけない)。

掃除はトイレと洗面所、風呂を夫に手伝ってもらったのだが、洗面所と風呂の排水口を見事にスルーされた(支持漏れ)。

掃除機をかけたけど、台所の雑巾がけはできなかった。庭の伸び放題の植物の剪定もできなかった。


完璧にやろうとしたら、余計に気持ちが追いつめられるということはわかっている。でも、できていないという現実もストレスだ。


今回は風邪を引いていたということもあるが、私は通常でも最後までやりきれないことが多い。
そうしていつも「まいっか、やれることはやった」という気持ちと「あーあ 、ほんとに自分はダメだ」という気持ちがせめぎあう。うんざりするな。


とりあえず、風邪が治って、勉強も落ち着いたら、きちんとやろう 。そう思って自分を納得させた日曜日の夜。

初夏に感じる二面性

まだ風邪が治らない。昨日の晩から少し咳も出始めた。

一体何なんだ、と思っていたら、世間でも「謎の風邪」とのトレンドワードで、同じような症状が流行っているらしい。

そして、それに対して「それがコロナだ」と言われていて、あららそうなんだ、とちょっと面食らった。

 

コロナなのか?熱はないし、咳は出るけど喉は痛くない。鼻水は収まってきた。味覚はある。目が乾燥している。眠い。

 

わからない。とりあえず普通に生活はできるレベルだ。でもあまり出歩いたりガツガツ家事をこなしたりするのは良くない気がする。

 

ちょうど今日はまったく進んでない勉強に取り組まないといけなかったので、起きた格好のまま、勉強に勤しんだ。

 

一日中家にいて、4時半ぐらいにコンビニに行くために今日初めて外出した。

 

外はまだ全然日差しが陰っていなくて、初夏の休日らしく静かでのんびりしていて気持ち良かった。

今日は夫も家におらず一人だったから、すごい開放感と心の安定を感じて、しみじみ幸せだな、と思った。

 

「会社で働く従業員」でもなく「家族の一員」でもなく、ただこうして一人で何にも属していないとき、心からほっとする。

でもそれは、何かに属しているからこそ感じられる感情だと解っている。

何にも属していなかったら、心細くて仕方ない。完全にではないけど、そうなった(何にも属していない状態)ことは何度かある。

 

だから、何かに属していることは時々とても面倒だけど、何かことあるごとに感謝している。

 

こういうのがアンビバレンツというのかな。

治らない風邪の鬱陶しさと、家から出なくていい快適さ。一人の開放感と、何かに属していることの安心。

 

私は他にもたくさんアンビバレンツを抱えているし、そしてもちろん他の人もそうだろう。

 

風邪と勉強(と、ネットでライブストリーミングも見た)でさらに乾燥した目をしばしばさせていたら、ようやく日が暮れた。

効かない風邪薬の副作用

風邪を引いた。これはまあまあ珍しいことだ。体は弱いけど、風邪はあまりひかない。熱も出ない。(平熱が低すぎるということもある)


今回の風邪は、なぜか鼻風邪だった。これも珍しい。私の風邪はたいてい喉からくる。扁桃腺が腫れやすいから。しかし今回は鼻風邪で、鼻水とくしゃみ。痰が絡んで辛い。


若干頭もぼーっとするので、寝る前に風邪薬を飲んだ。風邪薬を飲むのも久し振りだった。それにしても、風邪薬を飲むと眠気がすごい。ある種、暴力的な眠気が来る。そんなわけで、風邪薬を飲んだ晩はぐぐっと引き込まれるように眠ったが、一夜明けても風邪は治ってなかった。


鼻をすすりながら仕事に行く。鼻を止まらず痰は絡みつづけ、ちょいちょい職場にくしゃみを響かせる。

風邪薬はあまり効かなくて、でも眠気だけはしつこく残っていた。午前中ずっと眠くてだるくて、うとうとうとうとしてしまう。昼食時にようやく眠気が覚めたが、午後からまた恐ろしいほどの眠気に襲われた。


結果、その日はほとんど眠っていた。

風邪薬の威力はすさまじい。いや、実際に効いてほしいものに効果はなかったから、副作用の威力がすごい。
この副作用は眠気だけではなかった。体も力が入らないし、足も顔もぱんぱんにむくむし、便秘になった。2包飲んだだけだったのに、それが3日ほど続いた。


3日経過し、眠気はだいぶ引いた。風邪の症状も自然に治ってきた。でも足はあいかわらずむくんでいて、ずっと朝から靴がきつい。

風邪薬なんか飲むんじゃなかったと思ったが、辛いから仕方なかったし、そうだ、飲まなかったら悪化していたかもしれない。


そもそもなぜ風邪を引いたのか、まったく謎なのだが、多分気付かないうちに免疫が弱っていて、どこかでウイルスをもらったんだろう。

あれ、それってとても単純なメカニズムだな。そう考えたとしたら、誰でもいつでも風邪を引く機会は結構あるってことだよな。これまであまり風邪を引かなかったのは、たまたま奇跡的なことだったんだな。

怖がりな人間関係

会社の近くに大きな公園がある。その公園のすぐそばにあるお店で、友人と夜ご飯を食べる約束をしていた。立ち飲み形式でワインとパンとビストロっぽい料理を楽しめるお店だ。パンはもちろん料理も美味しく、小さい店だけど雰囲気がおしゃれなので流行っている。


約束の時間まで30分以上あったので、公園のベンチに座って時間をつぶした。

子供を自転車に乗せた人や、犬を散歩させる人、仕事の電話をしながら歩く人などが目の前を通っていく。有名な公園なので、公園の入り口で待ち合わせをしている人もけっこういる。


そのうちの一組が、とても親しく仲が良い様子だった。なんかいいなぁと思った。友人と呼べそうな人は数人いるが、いつもそこまで深い関係性になれない。


これは全面的に自分自身の問題だが、やりきれなく悲しくなってしまった

友人と会う前にこんなことを考えるのは、そもそも大変失礼である。ただ、私は友人のことを好きだけど、そこまで気心知れているわけではないし、友人が私を好きでいてくれるかどうか、自信がないのだ。


今回食事に誘ったのは自分で、もし私のことを嫌っていたら友人も来てはくれないだろう。でも、来てくれても、帰るときに「つまんなかったなぁ」と思っているかもしれない、と思ってしまう。もしそうなら辛い。
そんな陰湿なことを、広々として気持ちのいい夕方の公園で考えていた。でもまあ、そんなこと考えるのもおかしな話だ、とすぱっと気分を切り替えて、時間になったのでお店に向かった。


お店は人気で、オープン前から人が並んでいた。予約はしてなかったけど、私もオープン前に着いていたのでうまく入店することができた。中で待っていると、ほどなく友人1もやってきて、友人2は少し遅れそうだったので先に注文して食べ始めた。


食べ放題の美味しいパンを食べながら、友人1が話すのを聞いていた。友人1は楽しそうに話していて、でも声が小さくて話の内容がところどころわからなかったが、とにもかくにも楽しそうでほっとした。

そうしているうちに友人2もやってきて、3人でいろいろ話した。仕事の話だとか、最近行った場所の話だとか、他愛もない話だけど、人の話を聞いているのはやはり楽しい。

悩んでいることとか気になることとか、誰かに話すだけでも少しすっきりしたりする。だから、友人には話せることは話してほしいと思う。私も話せることは話して、聞いてもらっているし


みんないろんな事考えながらそれぞれ生きているんだな、と気付かされて、自分の悩みなんて小さい、というか、あって当たり前なんだからそんなに悩むことないよ、と思う。でも「悩み」であるから結局「悩む」ことになるんだけど。

悩ま」なくなったらそれは「悩み」ではなくなって、見事解決した、ということになるんだろうか。


ご飯のあとにマクドナルドに行って、お茶しながら、また他愛もないことを話した。笑い合っている私たちは、すごく親しい友人同士に見えただろう。

結局、そういうものなのかもしれない。本当の関係なんて外からも内からもわからないし、関係性はそれぞれごと、違うから。


お茶のあと、手を振って別れた。会う前は少し寂しかったが、終わったら充実して楽しい時間だった。友人たちもそうあってくれたらいいなと思う。

生きてるだけで罰ゲーム

辛くなるような理不尽なニュースばかりで、この世界の存在していることが罰ゲームであるかのような気持ちを味わっている。罰ゲームならまだいい、日常のお面をかぶった監獄。


冷房の効きすぎで仕事場は寒く、上司は機嫌が悪い。やはり罰ゲームだ。
理不尽なニュースたちのせいか、お昼ごはんに食べたおかずのせいか、胃の辺りが気持ち悪い。へその辺りがもやもやして落ち着かない。へその下は丹田丹田が落ち着かないと何も安定しない。


私たちはどうやって受けた傷を回復するのだろうか。


右手の薬指の爪の内側が汚れていた。よく見たら、今朝コンシーラーを頬に伸ばした時についたそれが、ずっと取れていなかったようだ。化粧が終わった後、ティッシュで拭ったはずだし、それから何回か手も洗っているのに。なんでだろう。なんだか自分がとてつもなくだらしない人間であるような気がしてうんざりした。


傷を回復しようとしても、新たな傷を受けたり、また傷口が開いたりして、だから回復には時間がかかるだろう。


デジタル時計がさっきからずっと同じ時刻な気がする。15:59までいったら、また15:00に戻ってるんじゃない?何これ、壊れてんじゃない?と疑ってしまう。

時間の密度は恐ろしいほど薄いのに、体はとても重く怠く感じる。